■沖縄県祖国復帰40周年記念大会ツアーを終えて
5月11日から13日まで、宜野湾市民会館で開催される「沖縄県祖国復帰40周年
記念大会」に参加するために日本会議大阪が呼びかけて近畿ブロックとしてツ
アーを組んで沖縄に行ってきた。この大会は日本会議沖縄県本部をはじめ、沖縄
の各団体が実行委員会を編成し、一般の県民に広く呼びかけた行事である。
先程夜9時半ごろにようやく自宅に帰ってきた。タイトなスケジュールで、疲
労感もあったが、それよりも沖縄県が祖国復帰してから40周年を迎えた誇りと喜
びを沖縄県民の方々と全国の人々と共有した場所に居合わせた達成感があり、充
実きた気持ちで一杯であった。
ブロックとして各府県本部、また霊友会会員の方々31名が無事、参加でき、お
互いに親睦を深めながら祖国復帰の喜びをかみしめるとともに、南部戦跡を巡
り、慰霊をできたことが何よりよかった。他にもツアーとは別のスケジュールで
来られた近畿在住の方々もおせれ、約40名位は近畿から駆け付けたのではないか
と思う。
この3日間、やはり沖縄はいい天候に恵まれ、汗ばむ程であり、とりわけて12
日の大会の前に普天満宮から宜野湾市民会館までの記念パレードは約2キロを日
の丸の小旗をもって練り歩いたが、強い日差しの中でのかなり日に焼けた。ちな
みにパレードではわざわざ台湾からもこの日を祝って、16名の参加者がおられた
こともありがたいことだった。
記念大会は、1300名の参加者で会場は満杯、そのうち本土からは202名の参加
者があったとのことだ。
大会ではオープニングセレモニーに続いて、中地実行委員長が主催者の挨拶、
続いて平沼・国会議懇談会会長、三好・日本会議会長、佐喜眞・宜野湾市長、宜
保・豊見城市長の来賓の挨拶、又吉・嘉手納村PTA元会長、宮平・日本青年会議
所沖縄地区協議会会長の提言、決議文の採択、そして玉城・沖縄玉岳風会会長の
万歳三唱と続いたが、いずれも沖縄県が占領されてから復帰するまでの苦難の歴
史を振り返りつつ、40周年を県民、全国民が祝うことの意義について触れられて
いて、印象深いものがあった。
とくに中地実行委員長の復帰は民族の自覚と魂を背景にある歴史的必然性が
あったと確信的な言葉と復帰に向けてご尽力された人々への限りない感謝をした
いとの言葉、また宮平・会長の若者の多くはインターネットによって沖縄がマス
コミで語られていることはおかしいということに気が付くことは時間はかから
ず、自虐的な歴史観を克服していくことが日本再生につながっていくという力強
い言葉が印象に残った。
続いて、ペマ・ギャルポ先生、津川雅彦先生の講演、そしてフィナーレとして
沖縄では有名な日出克&琉球國祭り太鼓、新垣・普天満宮司から閉会の辞と続
き、領土を守るという視点や沖縄県民程、我慢と忍耐をもっている県民性はない
ということ、そして琉球王朝の情緒たっぷりの演奏と、大会はしり上がりに熱気
が籠っていることを感じ取るができた。
今日の沖縄の報道を見ると、15日を「屈辱の日」をとらえ、平和行進パレード
などの記事が幅を利かせている中で、沖縄タイムズがこの大会のことを取り上げ
ざるを得なくなったのも、大会の規模の大きさ故であったのではなかろうか。
ツアーでは11日に護国神社参拝、旧海軍司令部壕慰霊、懇親会、12日には波上宮
正式参拝、嘉数高台公園での慰霊、記念パレード行進、記念大会参加、交流の夕
べに参加、そして13には白梅の塔慰霊、平和祈念堂での沖縄戦全戦没者顕彰祭に
参列、各府県慰霊の塔への慰霊、ずいせんの塔、ひめゆりの塔、でいごの塔での
慰霊と続く中で、この方々に心を寄せ続けることが自分達が生かされているあり
がたさを実感できることをつくづく実感しながら、沖縄を後にしたのだった。
後日、ツアーの詳細については落ち着いて報告致します。