■感動した新島旧邸訪問-大楠公の志が新島襄先生の生き方に影響を与えた
訪問したのは、大河ドラマブームということもあるが、もう一つ、どうしても新島先生の人生の志、何をもって米国にわって学び、キリスト教主義、自由主義、国際主義をもって、日本で学校を創立せんとしたその背景を確かめたかったのである。
繰り返すが小生も曲がりなりにも同志社大に通っていたこともあり、今年のNHK大河ドラマは楽しみな番組である。学生時代、校祖の新島先生について学んだこともあり、自然と新島襄先生と呼ぶようになった。番組の中では八重夫人の一生が基調となっており、前半は会津藩の藩を挙げての子弟教育、そして戊辰戦争の中で、鶴ヶ城の籠城戦の様子が詳細に描かれ、武士道のあり方や孝明天皇と松平容保公の固い絆が印象深く、後半は襄先生と八重夫人の若者への教育する情熱とそれをバックアップする山本覚馬の存在が重く、近代における教育がいかに日本を発展させていったのかを臨場感をもって描かれている。
恥ずかしながら小生は学生時代、新島先生といいながら一回も新島旧邸を訪ねたことはなかった。外観はコロニアル様式を取り入れながら、全て真壁作りとなっていて、和に洋を取り入れたただ住まいであるが、当時としてはやはり画期的なハイカラさの趣きが今に伝わっていた。
そして応接間に入った。当時、18畳洋間の応接間は生徒8名はじめ、教室、職員室、会議室、大学設立募金事務室、教会の集会室など、文字通り、英学校の中心的な場所となっていて、多くの人々が出入りしていたところである。
部屋の西側の壁に湊川神社にある水戸光圀公の建立した「嗚呼忠臣楠氏墓」とその裏にある朱舜水の賛を拓本にした額が掲げられているのを確認できた。係の女性に聞いてみたが、新島先生が米国に渡る前に寄った神戸の湊川神社を参拝した時に拓本にしたとのことであった。
おそらく新島先生も上野国安中藩の武家の出身であり、大楠公の天皇陛下に尽くす無私の生き方を志とする決意を持ち続けることを確認するとともに、また応接間に出入りしていた、多くの生徒、職員もこの額を見て、新島先生の大切にされて精神に触れていたことは容易に想像できる。
後世、新島先生は、キリスト教主義教育を施し、リベラリストと捉えている向きもあるが、先生が「一国の良心」と表わした、その「一国」は皇室の伝統を守り伝えてきた国柄のことであり、国を救いたいという烈々たる気概を把持されていることを確信したのだった。その精神は、確かに八重夫人のその後の赤十字社での看護活動や同志社出身である徳富蘇峰の思想にも確実に継承されていることを思いおこして得心がいった。
何か、新島先生の神髄に触れることができ、先生を校祖として仰ぎ見ることの誇りを持つことができた訪問となった。
ただ一方で、今の同志社大が先生の精神を正し継承しているのかどうか、見直すことで、大学教育の実態を見ることもできるのではないかと改めて思ったりもする。
是非、皆さんも来年3月まで、原則として毎週火曜日を除いて毎日開館していますので、見学して下さい。事前にネット又はFAXでの申し込み必要です。
http://kyutei.doshisha.ac.jp/reserve/index.html