■東京五輪開催に期待する
2020年東京五輪がIOC総会で決定した。本当に久しぶりと言っていい位の感動劇であった。ここしばらくの間、これほど国民が一つとなって歓喜のひとときを送ったことはなかったのではないか。
もういろいろな所で五輪招致までの苦労話や開催の意義については書き尽くされて情報過多の思いである。前回の東京五輪が戦後復興をした日本の象徴としてのイベントであったのに対して、今度は高度経済成長の頂点からバブル崩壊後、長期にわたるデフレが続き、かつての輝きを失い、世界の中でも経済力だけでなく、世界に冠たる技術力さえ、新興国の勢いに押され、存在感が希薄となるとともに、未だに東日本大震災からの復興がなされておらず、列島全体が自信を失っている情況の中で、再び、復活できかどうかの最大の好機を与えられたとみる点は、誰も共通の思いを持っているのではないか。
この間まで東京開催意義が曖昧だと言われていたが、今日の時代に「日本」で開催すること自体が、日本的な価値―おもてなしの精神であり、美徳を重んじる民族性であったり、相互に助け合って、高め合っていくという、表立って言上げはしないが、我々日本人が意識することができるのかが重要であると、猪瀬知事は発言したが、至極当然の内容である。
高円宮妃久子殿下の大震災援助の感謝のお言葉、そしてパラリンピックの佐藤選手のスポーツの力が人生を変えた力強いメッセージ、そして安倍首相が汚染水問題を政府が毅然として解決をする決意がIOC委員の心に響いたことが招致の要因であろうが、国民の心が一つになり、目標達成に向けて邁進すれば、必ず世界の人々の心を動かすことができることを確信できた。
これから至る所で国旗が立てられ、若者も顔に国旗のペイントを付けながら応援する場面も多くなるだろうが、こうなるともはや学校教育では国旗国歌の問題を否定的に語る教職員は、子供達からは信頼されなくなるだろう。
この点は問題はこの五輪が国の誇りを取り戻すために、必ず自虐的な歴史観を克服する起爆剤となるのではないか。何より、プレゼンしたスポーツ選手のメッセージの中に、今日の日本人は一体何を悩んできたのかを改めて感じるのではないか。
国民全体が稀有の僥倖を自覚的に生かしていこうではないかと思う。こう思わず呼びかけてしまう思いなのだ。