■公私ともにいろいろあった年でした
昨日27日で大阪府神社庁は閉庁。従って日本会議大阪の活動も年内は昨日を
もって打ち止めとする。夕方に大祓いの神事に職員の方々と一緒に参列させて頂
いたが、年内の塵あふたを祓い、明くる年に向って、新たな気をもらった貴重な
ひとときであった。
思うに今年は公私ともに本当にいろいろなことがあったが、4つに集約される
ような気がする。
なんといっても8月下旬に父親が亡くなったことが大きかった。8月最初から
の約半月に渡って、長野に帰省して毎日のように病院に通って見舞う中で、これ
まで両親にいかに孝行をしてこなかったことを痛感するとともに、父親の願いに
恥ずかしくない生き方をすることを決意したものだった。あとに残された母親を
しっかりとめんどうを見ていく責任、妻や妹夫婦、親戚の人々の絆、協力があっ
て自分は支えられていることを自覚させられた時間を送ることができた。
また自分が長期間、仕事を休み、行事を運営できない時にも、神社庁の職員の
方々や同志に本当に助けてもらって、乗り越えることができ、ここでも絆の重さ
を実感させて頂いた。
ときには崩れ落ちそうになる時もあったのだが、自分一人の運動人生ではな
く、多くの人々の絆、思いによって支えられていることを知ったことは、人間的
に胆力を培うことができ、成長させて頂いたように思う。
2点目は9月30日の日本会議近畿ブロック・第1回大阪大会をなんとか成功に
導くことができたことだ。これも大分前から準備をしていたものの、直前で休ん
だこともあり、焦りもあったが、本部、関係団体、各府県の日本会議が協力して
頂き、当日は台風が近づく中、大雨となったものの、返って参加者の方々の熱気
が発散され、大変な盛り上がりとなり、次のブロック大会開催への道筋をつける
ことが出来た。
3点目は、2月、5月、11月と3回に渡って沖縄を訪問し、英霊顕彰とともに
沖縄県民がいかに天皇陛下への篤い思いと復帰への強い願いがあったのかを肌で
感じることができ、一挙に沖縄が大好きになったことであった。
そして4点目は総選挙で、民主政権の失政による自民党の勝利と第3極の登場
が国家存亡の時にどのような方向性を歩むのかをしっかりと見据えるとともに、
選挙応援の中で敗者の悔しさも見てきただけに、多くの人々の思いを国民運動側
が応えていく責任の重さを知ったことであった。
今は、この年を経てきたからこそ、次に続く力を自ら備えることができたと言
い聞かせている。
政治状況は明らかに我々側に傾きつつある中、明年は腰を落ち着かせて着実に
進める絶好の機会、ただ頑張るのみ。
さて、本日28日から長野へ帰省します。
来年は7日頃からメールを送る予定です。神社庁の歳旦祭は7日です。
少し早いですが、よい年をお迎え下さい。