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■違和感を持った所信表明演説

2012.11.02

先日の野田首相の所信表明演説内容は、政治的課題は色々とあるものの、やは
り違和感を持った。

平和で明日への希望を持てる人々の表情を夕方時に家路を変える一家の主人を
指しているのか、または家でご主人を待つ奥さん、子供を指しているのか、よく
わからないが、何やら映画「Allways」を彷彿させるようで、昭和30年代の日本
ではないかと思った。確かにあの時代は、右肩上がりの高度経済成長の最中、誰
でも頑張れば今の生活よりよくなれる、頑張ればどこにも仕事があり、幸せな生
活を手に入れることができた時代、そして会社も家族の絆も強い時代であった。

そして今の50代以上の人々は、その時代に懐かしさを持っているし、昭和の
時代のブームはその象徴であろう。

しかし、今日、このような日本人の原風景を知る若い層はいないのではなかろ
うか。「夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人」-それがかつての日本
人の普通であり、最高の充足感であるとすれば、今日は、その「平和で豊かな日
本」という前提が崩れてしまっている感を強くする。
その意味で、首相は今がどのような時代であるのか、精神的に豊かな国である
のかを語らなければなるまい。

[演説より引用]
子や孫たち、そして、十代先のまだ見ぬ未来を生きる世代のために、私たちは
何を残していけるのでしょうか。
夕暮れ時。一日の仕事を終えて仰ぐ夕日の美しさに感動し、汗を流した充足感
に包まれて、明日(あした)を生きていく力が再び満ちていく瞬間です。十年先
も、百年先も、夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。社会
に温もりがあふれる、平和で豊かな日本を次の世代に引き継いでいきたいので
す。[引用ここまで]

次に「中庸」を旨とするとはどういうことか。これとて「中庸」ではなく、複
雑に絡み合う問題は、領土問題せよ、憲法問題も主権に関係する問題について
は、先送り、棚上げにしてきたのではなかったか。それが今日、問題として浮上
しているのではないか。「中庸」を旨とすることによって、明日への責任と言い
ながら、明日へ宿題を残してしまったのではないか。その宿題を解決しようとす
る気概を感じることができない。

[演説より抜粋]
複雑に絡み合った糸を一つひとつ解きほぐし、今と未来、どちらにも誠実であ
るために、言葉を尽くして、進むべき道を見出していく。共に見出した進むべき
道を、一歩一歩、粘り強く、着実に進んでいく。私たちの背負う明日(あす)への
責任を果たす道は、中庸を旨として、意見や利害の対立を乗り越えていく先にし
か見出せません。[引用ここまで]

ことほど左様に何気ない演説の中に首相の現実を見る目が、一般国民の目と
ギャップがあるように感じるのだ。

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